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院長小野 智裕 院長小野 智裕

おの耳鼻咽喉科院長
耳鼻咽喉科専門医

小野 智裕 (おの ともひろ)

  • この街、この地域に、笑顔と幸せが広がるように

    おの耳鼻咽喉科院長 / 耳鼻咽喉科専門医
    小野 智裕 (おの ともひろ)

    私は掛川市横須賀で生まれ、掛川の風景に囲まれ、地域の皆さんに見守られながら成長しました。
    中学生の頃、地元の大切なお兄さん的存在を病気で失ったことをきっかけに、「身近な人の命と健康を守る仕事がしたい」と医師を志すようになりました。

    大学で医学の基礎を学び、卒業後は昭和大学付属病院に勤務しながら、大学院で薬理学を専攻しました。そこでは、舌がんやアレルギー疾患の研究に携わり、がん細胞の転移について詳しく調べ、進行を防ぐ薬の研究に取り組みました。

    そして、病気の細かな現象に目を向けながら研究を重ねる中で、同時に全体像も見渡すことの大切さを学びました。最新の研究データを踏まえつつ、患者さん個々の状況にあわせて対応することが、良質な医療を提供する上で不可欠であると気づきました。

    研修医時代には、さまざまな病院でがんや先天性疾患の手術を数多く経験しました。中でも、口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)の治療では、家族の不安に寄り添いながら、子どもたちが健やかに成長できるようサポートする喜びを味わいました。
    この経験から、医療には高い専門性だけでなく、人間味あふれる思いやりの心が欠かせないと痛感しました。そして「医療を通じて患者さん一人ひとりの人生に寄り添いたい」そう強く願うようになりました

    医師になって気づいたことがあります。

    医師は「病気を治す」ことだけでなく、患者さんの望む人生の実現をサポートすることが何より大切な役割なのだということです。病状の改善は重要ですが、私は、その方が幸せになれるよう寄り添うことこそ、医師の大切な仕事だと考えています。

    残念ながら、すべての病気が完治するわけではありません。そんな時こそ、その方の暮らしを支え、不安や苦痛に寄り添う存在でありたい。地域に開かれた、安心して通院できる病院を目指しています。

    子ども時代、私自身が地元の開業医の先生に何度もお世話になりました。風邪をひいても怪我をしても、いつでも相談に乗ってくれる存在でした。こうした経験から、身近で相談しやすい病院が、地域には必要不可欠だと確信しています。

    地域医療という仕事は、人生をかけるに値するやりがいのある仕事です。私もまだ道半ばですが、今後も地域の人たちの健康を支え、心の拠り所となれるよう、日々研鑽を重ねて参ります。

    この街、この地域に、笑顔と幸せの輪が広がるように。

    これからも、同じ想いを共有してくれる仲間と一緒に、患者さん一人ひとりの人生を全力でサポートしていきたいと願っています。

  • ストーリー

    愛情あふれる小さな町で育まれた、故郷への想い

    静岡県掛川市南部に位置する遠州横須賀。かつては横須賀城の城下町として栄えたこの小さな町で、私は教師である両親、祖父母、姉と兄という7人家族の末っ子として生まれ育ちました。

    住民のほとんどが顔見知りで、道で会えば自然に会話が始まる。困っている人がいれば手をさしのべ助け合う。そんな温かい人情が息づく町で、私は「ともちゃん」とかわいがられ、たくさんの愛情を注がれながら成長しました。 地域全体が家族のように私を見守り支えてくれた大切な存在でした。

    この町には、みんなの心が一つになる「三熊野(みくまの)神社大祭」と「小祢里(ちいねり)」というお祭りがあります。
    祭りの日は町中が活気に溢れます。道行く人はみんな笑顔で、太鼓と笛の音色が街並みに響き渡ります。私は大人も子供も関係なく笑顔になれるお祭りが大好きでした。

    町内に、お祭りの名手と言われるお兄さんがいました。
    太陽のように周囲を明るくする存在感と、人を惹きつける魅力を持つ彼は、周りの人を笑顔にし一体感を生み出す力を持っていました。
    太鼓や踊りを教えるときは厳しかったけれど、がんばると褒めてくれて、最後は必ずねぎらいの言葉をかけてくれる愛情に満ちた優しい人。私はそんな彼に憧れ、いつしか彼のようになりたいと思うようになりました。

    心に刻んだ深い悲しみと「医師になる」という決意

    中学1年の秋、忘れられない出来事が起きました。
    憧れていたお兄さんが治療のため、オーストラリアに渡ることになったのです。肝臓の移植が必要な病気でした。でも、当時の日本ではそれができなかったのです。

    「元気になって戻ってきてくれる」「また一緒にお祭りをやれる」と思っていました。

    しかし、半年後、お兄さんは帰らぬ人となりました。移植を待つ間に病状が悪化し、30歳という若さで命を落としたのです。

    生まれて初めて経験した大切な人の死。
    私はその事実を受け入れられず、ただ呆然とするばかりでした。

    「なぜ、みんなに愛されていた彼が逝かなければいけなかったのか」
    「なぜ移植が間に合わなかったのか。他に治す方法はなかったのか」
    「もっと早く病気を発見できていたら、今もこの街で太陽のように笑っていてくれたのではないだろうか」

    この時から、「大切な人の命と健康を守れる存在になりたい」と強く願うようになりました。
    私たちを太陽のように照らしてくれたお兄さんは亡くなってしまった。 けれど、自分は今、生きている。その理由は「お兄さんの分まで地域の人達を笑顔にすること」ではないかと思ったのです。医師になることが私の揺るぎない目標になりました。

    「大切な地域の人達を守れる存在になりたい」それが何よりの原動力

    その願いを胸に東京の大学に進学し、基礎知識や技術の習得に励みました。
    研修医時代は本当に大変でした。月に20日も当直があって、体力も気力も限界を超えそうでした。 それでも、患者さんと向き合い、治療にかかわるたびに知識と経験が蓄積されていくのが実感できて、面白くてたまりませんでした。「一日も早く一人前になりたい」そればかり考えていました。 そして何より、元気を取り戻した患者さんの笑顔を見るたびに「この道を選んで良かった」と心から思えたものです。

    研修後は、病院に勤務しながら大学院へ進学し、舌癌の研究をして海外の学会で発表をしたり、論文を書いたりと、視野を広げる機会に恵まれました。
    その後、専門医としてのスキルをさらに磨くために横浜労災病院に勤務しました。ここは、他の病院で断られた重症例も受け入れると評判だったからです。

    ここでは乳幼児の先天性疾患や急性疾患、高齢者の癌や慢性疾患まで、本当にさまざまな患者さんの治療にあたり、年間200件以上の手術を行いました。 開業前には、先輩の医院で経営やマネジメントのノウハウを学ばせてもらいました。
    そして、憧れのお兄さんの没後20年の2014年10月 「おの耳鼻咽喉科」をオープンさせることができました。

    治療を通じて一人でも多くの方を笑顔に

    掛川は私の礎を築いてくれた故郷。「おの耳鼻咽喉科」は、この町に恩返しをしたいという思いで開院しました。「先生のおかげで元気になりました」「ここに来て本当に良かったです」という言葉をいただけたとき、医師としてこれ以上の喜びはないと感じます。

    私が最も大切に考えているのは、病気や怪我だけを治療するのではなくその人自身の心と身体が健康になることをお手伝いすることです。 お一人おひとりに寄り添い、ただ治すのではなく、患者さん自身の治す力を引き出すことのできる医師でありたい。そんな思いを胸に治療に当たっています。

    これからも、ここに住む方々に安心と満足を提供し、信頼され愛されるクリニックを目指して力を尽くしていきたいと思っています。
    患者さんの日常生活を支え、笑顔になってもらうことで、この地に幸せの輪を広げていけることを心より願っています。

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